ゲームのインタラクティブ・ドキュメンタリー作品を手掛けるDigital Eclipseに聞く、レトロゲームやその作者を美術館の展示のように解説する理由

byミル☆吉村

更新
ゲームのインタラクティブ・ドキュメンタリー作品を手掛けるDigital Eclipseに聞く、レトロゲームやその作者を美術館の展示のように解説する理由
 Digital Eclipseは、アメリカのサンフランシスコ近郊エメリービルにあるゲームスタジオ。近年はレトロゲームを集めたコレクション作品などの開発で知られる。

 そんな同スタジオが最近手掛けているのが、ゴールド・マスター・シリーズと呼ばれる一連のインタラクティブドキュメンタリーの体裁を取った作品だ。このシリーズでは収録ゲームがメインコンテンツとなる従来の旧作コレクションタイプの作品と異なり、プレイ可能なゲームはあくまで全体を構成する資料の一部。それ以上に関連資料やインタビュー映像などをふんだんに盛り込んで掘り下げていくというものとなっている。

 これまでに『メイキング・オブ・カラテカ』と『Llamasoft: The Jeff Minter Story』が出ていて、前者ではクラシックなアクションゲーム『カラテカ』の成り立ちを、後者ではカルト作家ジェフ・ミンター氏の足跡を追っており、前者がゲーム開発者によるゲーム賞“GDCアワード”の革新賞にノミネートされるなど、その取り組みが高く評価されている。

 今回本誌ではDigital Eclipseのクリス・コーラー氏に取材を行い、その経緯や今後の展望などについて聞いた。
広告

ゲームマニアからメディア側へ、そして開発側へ

――まずはスタジオでの役職と、どういう役割なのか教えて下さい。
クリス
 Digital Eclipseのエディトリアル・ディレクターとして、『メイキング・オブ・カラテカ』や『Llamasoft: The Jeff Minter Story』といったインタラクティブ・ドキュメンタリーではその核となる歴史的リサーチやそれに基づいた執筆のすべてを担当しています。

――ゲームメディア側での長年の活動が知られていますが、いつどのようにスタジオに加わったのでしょうか? 最初に関わったプロジェクトは?

クリス
 ここに来る以前にメディア業界で25年ほどのキャリアがあります。最初は1990年代にファンジン(同人誌)やニュースレターを作りはじめて、高校の時にフリーランスとして仕事を受け始めたんです。ビズメディア(小学館・集英社系のメディア会社)などの出版社に書くようになって、Wiredマガジンには特に長く書いていましたね。
 
 そして何冊か本も書きました。
『POWER+UP: 米国オタクゲーマーの記したニッポンTVゲーム興隆の軌跡』(邦訳は2005年にコンピュータ・エージ社から発売)は、日本のゲームについてアメリカで出た最初の英語書籍だと思います。

 それとご存知かもしれませんが、2008年に日本のカレーについてWiredに書いた記事(
「日本のカレーライス」を熱愛する米国人記者が語る『ゴーゴーカレーNY店』)がWired Japanに翻訳されてとてもバズったりしましたね(笑)。

 そして、ゲームについて、そしてゲームの歴史やその裏側にいた人物についての情熱をもっと注ぎ込みたいという思いがあり、2020年にDigital Eclipseでその素晴らしい機会を得ることとなりました。

 関わった最初のプロジェクトは『ブリザード・アーケードコレクション』で、これは
『バイキングの大迷惑』、『ロックンロール・レーシング』、『ブラックソーン 復讐の黒き棘』などBlizzardの初期作品をまとめたものです。
クリス
 それから『アラジン』と『ライオンキング』を収録した『Disney Classic Games Collection』(※海外のみ)、映画『スペース・プレイヤーズ』のオリジナルゲーム『Space Jam: A New Legacy The Game』を開発したりもしました。

 そして『T.M.N.T.カワバンガコレクション』、『Atari 50: The Anniversary Celebration』(以下、
『Atari 50』)を手掛け、インタラクティブドキュメンタリーであるゴールド・マスター・シリーズへと繋がっていきます。

開発物語を軸にクラシックなゲームをまとめる

――ゴールド・マスター・シリーズは非常にユニークです。レトロゲームのコレクション版は、普通はゲームの現行機移植版が中心でギャラリーはサブ的だし、そもそもゲームをプレイしてコンテンツをアンロックしなければいけなかったりする。でもゴールドマスターでは出来事が時間順に集約されたタイムラインが中心で、ゲームはそのタイムライン上の資料の一部であり、プレイしなくても進められます。
クリス
 その通りですね。それは我々のやっていることの正しい理解だと思います。「ここに収録ゲームの一覧があって、こっちがおまけのコンテンツです」とやるのではなくて、ある意味それをひっくり返すようなことをしています。

 開発者がどうそのゲームを作ったか語っている映像のような“ボーナスコンテンツ”を見たくても、ゲームをプレイして目標をクリアーしたりしないと見られなかったりすることがありますよね。私達はそれはやってることがあべこべじゃないかと思ったんです。

 というのも、私達が1980年代や90年代の名作についてそのゲームを知らない人の前で話すとしたら、まず興味を持ってもらうために感情的なきっかけを用意するじゃないですか。そのゲームがそもそもなんなのか、どういう経緯で生まれたのか、どうやって登場したのか、なんで今プレイするに値するのかとか。

 そして「このゲームは80年代のものなんですけど、いまプレイしてみるとこういう意味で興味深いんですよ」とか説得する時に、人間性をそこに加えたりすると思うんですよね。誰がいつどこで作ったのか? どうやって、どんなツールで開発していたのか?
[IMAGE]
『Llamasoft: The Jeff Minter Story』での例。タイムラインを進みながら解説と各種資料を見ていく。
クリス
 美術館に足を踏み入れた時のことをイメージして欲しいのですが、絵が単に「絵です」ってかかってるわけじゃないじゃないですか。そこにはやっぱり、誰の作品で、どこでいつ描かれたものなのか、どういう経緯が制作に影響をもたらしているのかといったことが示されている。そういう説明を理解したうえで作品に向き合うと、やっぱり受ける感じが違いますよね。

 それはゲームも同じだと思うんです。時間や文脈から切り離されたそのゲームのROMファイルを単にプレイするのではなく、理解を高めたうえでゲームに向き合うことで、そこにそのゲームを手掛けたクリエイターの作業の痕跡が見えてくる。もしかしたらそうすることでプレイヤーとしてより楽しみを得られるかもしれない。
[IMAGE]
本人や周囲の関係者が直接語るインタビュー映像も資料のひとつ。『カラテカ』で使ったロトスコープ技法について掘り下げる段では、父親が大きく関わっていたことが明かされる。
クリス
 だからこのシリーズで、私達はただゲームをプレイしてもらうことから始めないんです。その歴史の始まりを話しはじめるところからスタートして、タイムラインに沿って進んでいき、そこではじめてゲームが登場する。

 そしてそうした情報や文脈を示していくことを通じて、それを単にバラバラな周辺情報としてくっつけておくのではなくて、ひとつの物語として構成する。願わくばストーリーテラーやドキュメンタリー作家のようにありたいと思うんですね。誰かの作品を単に今聞けるようにしただけのカバーバンドのようではなくて。

 私達は対象のゲームにまつわるユニークなストーリーを語りたい。『メイキング・オブ・カラテカ』なら、単に「はい、これがカラテカです」と現行機で遊べるゲームをお出しするだけじゃ足りません。そこには人々についての非常に興味深い物語があるわけで、ゲームの『カラテカ』はあくまでその中心となる要素です。そしてそこにこそ、あなたが今まで聞いたことがないであろう、ユニークで興味深いものがあります。
[IMAGE]
『カラテカ』のさまざまなバージョンを収録。コメンタリー付きのリマスター版なども入っている。
――そこが面白いところです。『カラテカ』の開発者であるジョーダン・メックナー氏には『プリンス・オブ・ペルシャ』という大ヒット作がありますが、『カラテカ』にたどり着くまでの道のりという点では、それ以前のあまり成功していないゲームやプロトタイプがより意味のあるものになったりする。

クリス
 そうですね。私達の物語のアプローチとしてはまず「ハリウッド映画になったりもした、今も続く大作シリーズのプリンス・オブ・ペルシャの前に、そこで使われたテクニックが『カラテカ』で培われていたんです」という感じです。

 面白いのは、日本の皆さんは『カラテカ』と聞くとファミコン版をイメージすると思いますが、アレはジョーダン・メックナーが作ったオリジナル版とはかなり違う非常に変わった作品なわけです。

 なので、当時遊んでみる機会がほぼなかったであろうApple II版をお見せできるのはとても楽しいことなんですよ。ファミコン版がもともとどういうゲームから出てきたのかわかるでしょう。
[IMAGE]
日本での展開についてももちろん触れられているのだが、資料はPC-98版が中心。これはこれで面白い。

美術館のキュレーターと同じように、作品の物語を見出す

――ゴールドマスターのテーマの選び方について教えて下さい。Atari 50やジェフミンターコレクションは一見よくある形かもしれませんが、カラテカだけで追うのは面白いですよね。

クリス
 そうですね、『Atari 50』はゴールドマスターシリーズではありませんが、私達が作ってきた3本のインタラクティブドキュメンタリー作品としては最初のものになります。その点において、あの作品では(単に旧作を集めた従来型のコレクションなのではなく)アタリというその歴史の中で大きく成長し変化していった会社の物語を示しているわけです。

 5つのタイムラインによる物語に絞り込む必要がありましたが、よく見るとそれぞれがゆるく繋がっているのがわかるかと思います。それぞれ直接の関係はそれほどない100本以上のゲームを収録するにあたって、そこに文脈やストーリーを加えたかったんですね。
クリス
  『メイキング・オブ・カラテカ』は非常にユニークで新たなチャレンジでした。基本的にひとつのゲームについてのものなのに、同時にコレクション的な集大成でもあるわけです。となるとストーリーテリングの側面を強化しなければいけません。

 実は『メイキング・オブ・カラテカ』の作業自体は『Atari 50』より前に始まっていたのですが、これは幸運なことでした。ここでタイムラインを軸に語っていくというスタイルや、そこにどうゲームのデモや資料などの要素を入れていくかについてじっくり取り組んだことで、ゲームについてのインタラクティブドキュメンタリーというコンセプトを進化させることができたからです。

 というのも、ジョーダン・メックナーは本当にいろいろなものを保存して残している人だったんですね。当時のテキスト資料やプロトタイプが入ったフロッピーディスクがありましたし、その日何をやったかが書いてある日記まで残っていました。
[IMAGE]
メックナー氏が『カラテカ』以前に手掛けた『Deathbounce』の設計資料。
クリス
 そういったものの提供を受けて、すぐに「こりゃすごいぞ、何もかもあるし、なによりいつのものなのか日付までわかるじゃないか」と気が付きました。これだけしっかりしていれば「こちらはスプライトデータのリスト、これはスケッチのリストです」と雑然と並べなくていい。ちゃんと時間順に扱えるならそうしようじゃないか、というわけです。

 あのタイムライン順の設計はココから来たようなものです。『Atari 50』の契約が決まったのはそのあとだったので、私としては「おお、いくつかの問題はあのやり方でうまくやれそうだぞ。じゃあアレやってみようか」という感じでした。

 さて『メイキング・オブ・カラテカ』での最大の挑戦は「ひとつのゲームについての物語を描けるか」だったと思いますが、それについては可能であることを証明できたと思います。

 『Llamasoft: The Jeff Minter Story』の場合はその中間という感じですね。100個のゲームをストーリーで繋ぐというよりも、ひとりの男の話であり、その人生を通じて手掛けた42のゲームの話です。

 これはこれで時間軸に追っていくのがとても向いている。彼がひたすら自身のゲームを開発していく中でどうスタイルを進化させて、初期の白黒の
『Centipede』(※ジェフ・ミンター氏が自作したオリジナル版)からその真逆のような『Tempest 2000』にたどりつくのか、その成長を見て取れますから。
[IMAGE]
ジェフ・ミンター版『Centipede』。実際にプレイせずスクリーンショットを見て想像で作ったため、内容が微妙に違う。
クリス
 質問の答えに戻ると、私達はたくさんのゲームの中でどれが最高の作品なのか選んだりするのではなく、あるゲームやシリーズやある開発者の長年手掛けてきた仕事の数々に対して向き合う機会を得た時に、それらの要素によって物語を語るのにどうするのがベストなのかという視点で取り組むようにしています。

 展示可能なコレクションを見渡して「ここからどうやって物語を紡げるか?」と考えるのが美術館や博物館のキュレーターですよね。それと私の仕事は同じです。

――多くの資料が現存するゲームばかりではないわけですが、「ゴールドマスターされる」ために必要な条件などはありますか?

クリス
 私達の所に大量の資料とともにやってきてくれればそれは素晴らしいですけども、そうでなくても私達がやり方を見つければいいだけですから大丈夫です。

 たとえば『Atari 50』の場合はあまり内部的な資料は提供されませんでしたからね。今では同じグループなので事情が異なりますが、当時は単にクライアントのパブリッシャーと発注先の関係で、使っていい内部資料が最初から渡されたわけじゃありません。私達が探し出さないといけなかったんです。

 『メイキング・オブ・カラテカ』の場合でも、ほとんどは渡されましたが、それでも自分たちで探さなければいけなかったものもありました。なので仮にゲームのプログラム以外何もなかったとしても、私達が何が可能かを考えます。何が世に出ていて、何が入手可能でそこから何を語れるかなど。

 なので、いつも開発側から提供されるものと私達が持ってくるものの組み合わせですし、渡されたものが何であれ、そこからどんな文脈を見出していけるかについてはとても自信があります。

 ラマソフトのケースはまたかなり異なります。ジョーダン・メックナーとジェフ・ミンターはかなり違った人々です。ジョーダンの場合は『カラテカ』に3年ほどかけて、そのプロセスのすべてを記録して、その凝った設計やストーリーボードを紙に残していました。

 それに対してジェフ・ミンタ―は、コンピューターの前にひとまず座ってタイピングし始めて、1週間後とかに出来上がったら「素晴らしい、じゃあ出そう」と次に行ってしまうでしょう。そうなると根本的にコンセプトアートについて尋ねる相手はいなかったりするわけです。いちいち作ってなかったりするので。

 でもそこでほかの文脈が大事になってきます。当時はどんな所に住んでいたのかとか、それが作品にどう影響したのかとか。なのでラマソフト編の素材には、彼が育った通りの様子だったりローンチパーティーをしたプラネタリウムの写真が入っています。そういったものが入ることで現実感が出たり、インターネットで見られるゲームの画像には欠けている開発者その人の実在感が出ますから。
[IMAGE]
ジェフ・ミンター氏が育った町の説明。

Atariグループ入りしたDigital Eclipseの今後の戦略

――ジョーダン・メックナー氏と『カラテカ』のケースもそうですけども、『トージャム&アール』のグレッグ・ジョンソン氏とか、個人としてパブリッシャーと契約する際にIPを自分の側にキープしていた人たちが時々いますね。IPを持ってることの強みについてはどう思いますか?
クリス
 はい、自分のIPを維持できるよう交渉することの重要性が示されていると思います。『メイキング・オブ・カラテカ』をやることができた理由がまさにそれですからね。彼は1980年代、非常に若い時にブローダーバンドと契約内容を交渉して、「IPを売らないけども10年間パブリッシングする権利を出します」とやったんです。

 当時のゲーム業界にしてみれば、10年というのは永遠のようなものでした。10年後にその権利が必要な状況がありえるかどうかなんて想像もし得なかったんです。1年か2年売ったらそれでおしまいというような感じでしたから。そうして彼が今でも権利を持っていたからこそ、私達が『メイキング・オブ・カラテカ』をやれたというわけです。

 あなたがおっしゃる通り、IPを確保していることの強みがあると思います。私達が『Wizardry: Proving Grounds of the Mad Overlord』、『ウィザードリィ』第1作のフルリメイクを実現するためには、(権利関係が複雑になっていたため)さまざまな関係者にテーブルについてもらう必要がありましたから。でもそれで実現し、あれをちゃんと『ウィザードリィ』と呼ぶことができるものにできた。それが大きな出来事なのは理解していましたし、実現できたのは本当に嬉しかった。

 でももし開発者が自分たちの側にIPを保持できるのであれば、これはかなり将来的にこういったことを進めやすくなります。なぜ私達がジョーダン・メックナーやジェフ・ミンタ―の所に直接話しに行けるのかといえば、彼らが「うん、これの権利は持ってるからやろうよ」という感じだからなので。
――完璧なわけではありませんが、日本語ローカライズされているのも面白い所です。どういう戦略なのでしょうか?

クリス
 日本のみなさんがこれらのゲームにアクセスできるようにしたいのは事実で、それはビデオゲームの歴史に深い興味を持つファンが多いからです。

 またこれらのゲームには日本に接点があるものもありますからね。『カラテカ』やその後の作品である『プリンス・オブ・ペルシャ』を通じてジョーダン・メックナーをご存知の人も多いと思いますし、ジェフ・ミンターのいくつかの作品もそういう所があります。特に『Tempest 2000』は日本のゲーム開発者にも影響を受けた人がいるんじゃないでしょうか。

 なので日本は非常に重要であり、みなさんが日本語でこれらのゲームを楽しめるようにするのが私達の戦略です。

――近年のDigital Eclipseの戦略の変化について教えてください。単なるコレクションとかリマスターだけを開発する会社以上のことをしようと向かう動機があったのでしょうか?

クリス
 そうですね、それまでのDigital Eclipseのプロジェクトはパブリッシャー側の企画で、「このゲームを復活させよう、どこかやれる所はないか」という時に私達が「できますよ」という感じでした。または逆に私達がパブリッシャーの所に行って「あなたが権利をお持ちのこのゲームで私達はこういった素晴らしいことをやれますがいかがでしょうか?」と提案するような形ですね。

 幸運なことに数年前に新たな資金を得て、そこから新しいプロジェクトを始める内部的な資金を確保できたんです。そしてそこからの発想は(雇われ型でやっていた)ビジネスモデルをひっくり返すということでした。

 つまり、パブリッシャーが私達と契約して出来上がったゲームを彼らが売るのではなくて、私達が出ていってゲームのライセンスを得て、私達がベストだと思う形に仕上げるということです。この方針でこれらの作品が可能になりました。

 というのも、『メイキング・オブ・カラテカ』にしても『Atari 50』にしても『Llamasoft: The Jeff Minter Story』にしても、こういったやり方でゲームをまとめた前例はありませんでしたので、(従来型の契約で)パブリッシャーに「こういうやり方がいいと思うんです」と説得するのは難しかったですから。その点でAtariが当時『Atari 50』でチャンスをくれたことには感謝しています。

 ゴールドマスターシリーズをやる予算を確保した結果として、そのゲームについてのストーリーを語るのが確かにクラシックなゲームを楽しんでもらえるいいやり方のひとつであり、ビデオゲームのストーリーを語る最高の方法はインタラクティブなゲームそのものだと証明できたことは幸運でした。

 一方で私達はAtari傘下となりましたけども、Digital Eclipseを選んでいただいた外部のパブリッシャーとのプロジェクトも引き続き目にするでしょう。私達としては喜んでやらせていただきます。

 ただパブリッシャーの傘下となったことで、Digital Eclipseというブランドによる自主パブリッシング―それはつまりAtariでもあるわけですが―も可能になったというわけです。私達がインタラクティブドキュメンタリーをやることも、それ以外のタイプの再発を手掛けることも、オリジナルゲームをやることさえも目にすると思います。レトロゲームへのリスペクトというテーマを軸に、いろいろな場所に進めるようになったのが現在の私達です。

 そしてそれらはすべて、クラシックなゲームへの、その設計への、そして当時の制約が生み出した美へのリスペクトに帰着します。先程触れたように私達は映画
『スペース・プレイヤーズ』を元にしたオリジナルゲームを開発しましたが、新しい“レトロスタイル”のゲームを作るのも私達の能力のうちなのです。3Dリメイクの『ウィザードリィ』もそうですね。
――Atariグループ入りで変わったことは?

クリス
 いまのところすごくいい感じですね。私達を信じてくれているし、これまで通りにビジネスをして、私達の仕事をベストな形でやってほしいと思ってくれています。これはすごくいい状況です。Atariは私達にレトロとかクラシックゲームの界隈やゲームの再発の分野などで最初に出てくるような存在になって欲しいと考えています。

 グループには私達に加えて、より後の時代の作品(1990年代中盤)の素晴らしいリマスターを出しているNightdive Studiosがいて、Mobygames(ゲームのクレジットを中心にしたデータベースサイト)やAtariAge(Atari専門のデータベース/コミュニティサイト)もあります。

 またAtariは当時のカートリッジも動作するAtari 2600+を成功させていますし、カートリッジの再発もしています。数年時間をもらえれば、Atariはグループとして昔のカートリッジリマスター、エミュレーション版、私達のやっているようなドキュメンタリーと、クラシックなゲームに関するあらゆる部分を扱えるようになれるのではないでしょうか。これはとても楽しみですね。
――まだ話せないものもあると思いますが、Digital Eclipseとしての今後の展開はどうでしょう?

クリス
 ゴールド・マスター・シリーズだけではなく、さまざまなものを目にすると思います。今年から徐々に、私達がやれるさまざまなことの幅と深みを示していけるだろうことに興奮しています。

 そしてゴールド・マスター・シリーズも続いていくでしょう。ゲームをインタラクティブに語っていくというこのやり方がうまくいくこと、プレイヤーの皆さんの反応がいかにいいかを示せたので、引き続きこの方法で素晴らしい物語を紡いでいけると感じています。

日本のゲームも「もちろんやりたい」

――日本のスタジオや開発者でゴールドマスターをやってみたいのは?
クリス
 全部! なにもかもすべてです。日本に2年住んで日本のゲームについての本を書いたり学位を取ったぐらいですし。日本のゲームの歴史を愛していますし、1980・90年代の日本のゲーム業界は日本だけでなく世界のゲーム史にとって根本的かつ重要なものなので、できたら素晴らしいでしょうね。

 『T.M.N.T.カワバンガコレクション』はインタラクティブドキュメンタリー形式ではありませんが、KONAMIのアーカイブから出てきた大量の設計資料のディープなリサーチと翻訳など、その基礎となっているものはいくらか入っています。

 当時のゲームはスタッフが名前を明かしていないこともあったりして、そういった資料を手に入れて、企画書に書かれている名前を見つけたりすると、そのゲームデザイナーとのつながりを感じられたりします。これはカワバンガコレクションでKonamiと働くことができて良かったことのひとつでもありました。

 またコレクションを見てもらえればわかると思うのですが、私は日本版と海外版のROMをどちらも収録するように強く主張しました。コレクション自体が英語設定でも日本版のROMを起動できて日本版のロゴを見られるのは魅力的です。というのはタイトルをはじめとしてあちこち違ってる部分があったりするからです。『Teenage Mutant Ninja Turtles』ではなく『激亀忍者伝』でしたからね。
クリス
 これを機能としてちゃんとしたものにするために“Legend of the Extreme Ninja Turtles”という(『激亀忍者伝』の)英訳を用意したりもしました。いろいろちょっと違うんだよ、というのをわかって欲しかったので。

 多分それは当時(海外のゲーマーにとって)体験できなかったことだと思うんですね。そういったちょっとしたことでも全体の豊かさを増すので、私達は異なるバージョンなども入れるようにしています。
[IMAGE]
このゲームの英題は『Teenage Mutant Ninja Turtles』なのだが、ここで表示しているのが日本版の『激亀忍者伝』なので、タイトルもそれを反映した訳“Legend of the Extreme Ninja Turtles”になっている

いまだ衰えぬ日本カレーへの情熱

――ところで、まだ日本カレーを追っているんですか? それとも日本のチェーン店のアメリカでの出店が増えたからおしまいでしょうか?

クリス
 ずっと追ってますよ! いつでもね。2000年代終盤にはニューヨークとボストンにはゴーゴーカレーがありました。ロサンゼルスには2000年代初頭からCoCo壱番屋があった。でも(サンフランシスコ)ベイエリアにはいくつかいいカレーを出す店はあったけども日本の本物のカレーチェーンが出店してなかったんです。

 でもパンデミックの間に日乃屋カレーがオープンしたので、経営している人に会いました。いい食材が手に入らないので何もかも日本から輸入していると言っていて、日本と同様にすごく力を入れて作っているのがわかった。

 面白いことに、日乃屋カレーは日本のチェーンで一番好きだったし、確か2013年だったと思いますがカレーグランプリを取ってますよね。単に自分が好きなだけじゃない受賞歴のあるカレーを本当にベイエリアで食べられるというのは最高ですね。

――あなたが薦めていたサンフランシスコのミッション地区のフミカレーに行ってみたんですが、おいしかったですよ。

クリス
 行ったんですか? 私の顔が店頭に飾られてるのを見た?(筆者「はい」)あれはGQ Japanから連絡を受けて、ベイエリアで当時一番のカレーを教えようということで行ったものなんですよ。すごくおいしいし本物ですからね。そしてあそこで私が食べている所をGQが撮ってあの写真になったというわけです。なので妻にはいつも「キミはGQのモデルと結婚してるんだよ」と言ってますよ(冗談)。

Chris Kohlerクリス・コーラー

Digital Eclipseエディトリアル・ディレクター。日本をはじめとした幅広いゲームの知識を活かし、KotakuやWired誌などで長年活躍。その後、Digital Eclipseに入社し、同社の手掛けるコレクション系作品のデータ収集や解説執筆などを手掛ける。日本留学の経験も。

    この記事を共有

    本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります

    週刊ファミ通
    購入する
    電子版を購入