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俺、ヒップホップで食っていこうと思うんだ 第4回:OooDa(前編)【ゲームキャスターリレーインタビュー】

日ごろゲーム大会の実況や解説などで活躍する、ゲームキャスター。彼らが語るゲームや選手の話は聞く機会が多いのに、彼ら自身の人となりや、彼ら自身の意見については、公の場で訊ける機会は少なかったのではないだろうか。

そこで、ファミ通では取材機会が少なかったゲームキャスターひとりひとりに、キャリアの歩み、ゲームキャスターという仕事について、そしてesportsについての意見を聞きたいと思う。なお、次のインタビュー対象も指定してもらう形式のリレーインタビューを採用している。

第4回は、OooDa氏。前編では氏のアバンギャルドな半生と、そこからゲームキャスター兼イベント運営の会社員となるまでのきっかけなどを明かしてもらった。

後編では、独特のいきさつと立場を持つ氏ならではのゲームキャスター観と、その視点から見るesports周辺の現状と今後についてを訊いている。

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OooDa
『Counter-Strike Online』公式大会の実況を担当して以来、『サドンアタック』などさまざまなFPSタイトルの実況を担当し、今では『PLAYERUNKNOWN’S BATTLEGROUNDS(PUBG)』や『パズル&ドラゴンズ(パズドラ)』の公式実況も務めるオールラウンダーキャスター。堅苦しくなくゆるすぎもせず、選手や解説を大いにいじってドラマを伝えていくその実況が持ち味。

 ラッパー、映画監督、そしてプロゲーマー

――前回のeyesさんからの指名ということで、本日はよろしくお願いします。ちなみにeyesさんからは、「つぎはいつ食事に行けますか?」と。

OooDa すごい振り方ですね!?

――「2回もドタキャンされた」とおっしゃってました。

OooDa いやぁ、「あいつとメシ行くの難しい」と評判の僕ですからね。ちょっと分からないかと……。って、冗談ですからね。

――昨今はかなりお忙しいですしね。そんな中、まさに今日『Counter-Strike Online』が2019年3月にサービス終了と発表されましたが。(※インタビュー収録日は2018年12月13日)

OooDa そうですね、そこには触れておきたいかも知れませんね……。自分のルーツの話にも含まれますので。

▲OooDa氏を語るうえでは欠かせないタイトルである『Counter-Strike Online』が、まさにこの収録当日、サービス終了を発表した。どれだけ氏にとって重要なタイトルだったのかについては、このインタビューでも触れていく。

国内シューティングタイトルは10年選手がいるものの、運営はいろいろ大変みたいですね。『Black Squad』や『カウンターストライクオンライン2』で新しい風を吹き込もうとしてたんでしょうけど、厳しかったようで。『攻殻機動隊S.A.C. ONLINE』もそうですよね。声優さんとか原作そのままで、めちゃくちゃ豪華でしたよね。……って、これ、もうインタビュー始まってるんですか?

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――このインタビューはこうして、ぬるっと始まるのが恒例になっています。まずは近況を聞くがてら、最近個人的にプレイしたり、キャスターとして活動しているゲームタイトルを教えていただけますか?

OooDa 今遊んでいるのは『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』です。ほかには、『PLAYERUNKNOWN’S BATTLEGROUNDS』(以下、『PUBG』)と『PUBG MOBILE』、『リネージュ2 レボリューション』、『パズル&ドラゴンズ』といったタイトルはつねに触っている状態です。この辺は、お仕事にも特に関わっているタイトルですね。

『PUBG』はつねに変化が起き続けていて、飽きることがあり得ないゲームなのでずっと遊び続けています。あの緊張感もたまりませんね。スマホゲームの方は、もはや生活の習慣になっています。

――では、そんなOooDaさんが最初にビデオゲームに出会った、きっかけについてお聞きしたいのですが。

OooDa 小学校か、幼稚園のころですね。とくに貧乏でも裕福でもない家庭の生まれでしたので、ゲームボーイの初期型で『テトリス』をやったり、ファミリーコンピューターで『マリオブラザーズ』を母親と交互にプレイしたり。ゲームボーイの『テトリス』や『マリオ』、スーパーファミコンでは『ドラゴンボール』世代でしたので『ドラゴンボールZ 超武闘伝』を1から3と。

そんな風に、一般的な子どもでしたね。外に遊びに行くことも多くて、ヨーヨーとかボードゲームとか何でも遊んでました。家でもわいわいとみんなでゲームをしたり。ただ、ひとりで黙々とRPGをプレイしたりするのはなぜか苦手でしたね。

――世代的には、ちょうど名前を言うまでもない超大作RPGが流行っていたころですよね。

OooDa 『ドラゴンクエスト 5』だけ、すこしやったけどすぐにやめちゃったんですよね。ひとりでコンピューターと向き合ってプレイするというのが、僕にはできないみたいなんです。日本人は逆にRPGが好きって言いますけど、友達と対戦や協力がないと、しっくりこなかったんです。唯一できたのは『ポケットモンスター』(以下、『ポケモン』くらいだったかも知れません。

――『ポケモン』は対戦もありますし、みんなと遊ぶのが好きだったわけですね。ゲームについて親からうるさく言われたりしませんでしたか?

OooDa まったくうるさくなかったですね。むしろゲームよりテレビやアニメにうるさかったくらいです。『クレヨンしんちゃん』は観るなとか、『ダウンタウンのごっつええ感じ』などのバラエティー番組は観るなとか。まあ、コソっと観てましたけどね。

中学生になるとニンテンドー64が発売されて、みんなで『ゴールデンアイ 007』を遊びました。

――『ゴールデンアイ』はこの界隈では、みんな一回通る道なんですね(笑)。

OooDa いまだに化学工場の防弾チョッキの位置とか、P90の位置とか覚えていますよ! あとニンテンドー64なら『ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ』でしたね。そのあとゲームキューブが出ても、ずっとやっていました。友達と泊りがけで遊ぶときに、罰ゲームを賭けて『スマブラ』をやったりしていたものです。とにかく、友だちといっしょにゲームすることが大好きでした。

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――ゲーム以外に、趣味の活動や部活動などはやっていたんでしょうか?

OooDa 中学生のときは野球部でした。中一で入ったんですけどサボり気味でほとんど休んで、バスケ部のみんなと放課後にバスケをやっていました。

――野球部なのに?

OooDa 中二のころに、グレたわけでもないんですけど、みんなでゲームセンターに行って、スケートボードが僕らのあいだで流行っていましたね。あとはアクションゲームの『メタルスラッグ』やガンシューティングの『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』とか、パズルゲームの『ミスタードリラー』も。当時格闘ゲームでは『鉄拳3』や『鉄拳タッグトーナメント』も流行ってたので、ずっとやってましたね。

高校へ進学するのに少しは部活にも出ておけという話になりまして、中三から野球部の練習に出始めましたけど、当然一度もレギュラーになれずに後輩と一緒にベンチで応援し続けました(笑)。

――当時はゲームを遊びつつ、当時のメインストリームをまっとうに楽しんでいる感じだったんですね。

OooDa ごく普通で、マニアックな部分は一切なかったと思いますね。いま思い出すと申し訳ないんですけど、そのころはオタク気質の子とか、アニメやマンガを小馬鹿にするような、いまとは真逆の立ち位置でした。ゲームはやっているんですけど、自分たちがポジティブすぎてオラついていた感じです。

――当時はちょうどオタクな子以外もゲームを普通に遊び始める、転換期のころでしたね。ゲーセンが不良のたまり場というイメージが変わり始めたり、各家庭に当然のようにゲーム機があるようになり始めた時代ですね。

OooDa そのあとは高校を卒業して……当時はヒップホップが好きだったんですよ。ちょっと恥ずかしい話なんですが、ラッパーになりたいと思っていまして

当時、外壁工事の会社に就職が決まってから、地方の宿泊施設に泊まりこんでの新入社員の勉強会がありまして。それが結構な長期間だったので辛かったのもあったんですが、そこで担当の方に「自分はやっぱりドリーマーでいきたいです」と伝えて一日で辞めました。

――そこからはラッパー活動を?

OooDa いや、別にそこから本格的にラッパーとして活動したわけでもないんですけどね(笑)。

高校を卒業してからは、大阪にアメリカ村の三角公園っていう場所がありまして、その辺の地下クラブとかでラップの曲を遊びでみんなで作って、前座で披露するくらいの活動はしていました。とくにがんばったわけでもなく、ふわーっと素人に毛が生えた感じでしたね。

――すると収入面では、バイトなどをしていたわけですか?

OooDa いろいろなバイトを掛け持ちして、辞めては入ってのくり返しでしたね。とにかく飽き性でしたので。すぐなんでもやめちゃうんですよね。

――RPGのときと同じですね。

OooDa それで結果的に一旦落ち着いたのが、知り合いのツテの鳶(とび)職でした。足場を組み立てる従業員3人くらいのところで、2年くらいですね。この時期は、ゲームには何も触れていなかったです。

19歳くらいになって、焦りなどもありまして、地元の友達の目を避けて引きこもってしまったんですよ。追い込まれていたのか何だったのか、よく分からないんですけどどんどんネガティブになっちゃいまして。

そうして仕事をやめて21歳くらいまで、誰とも連絡を取らずにずっと家にいました。そこで海外ドラマやアニメなどを観続けて、オタク的な要素が培われた感じですね。

――そこから脱却するのに、きっかけはあったんでしょうか?

OooDa 小学生のころから飼っていた犬が倒れちゃって、安楽死させるか育てるか、という話になったんです。それで育てる道を選んで、引きこもりながらずっと犬の世話をしていました。その犬が亡くなってしまった瞬間に、何かが切り替わったのか「俺も何かしなきゃ」と思い立ちまして。引きこもっている間に一番やっていた映画鑑賞の影響で、「映画監督になろう」と思ったんです。

――ラッパーから映画監督ですか。

OooDa 祖母に15万円借りて、身ひとつで東京に出てきました。映画を作っているコミュニティーを探して、バンタンという映像作品を作る学校の人たちと知り合いになりまして、PV撮影の現場とかでバイトしつつ、自主制作映画を何本か作りました。

――ちなみに、作品のタイトルは?

OooDa 『あんパン』という本当に自主制作映像で、DVテープとかにしか残していなかったので、動画とかでネットに残ったりはしてないですよ(笑)。

企業さんのオフィスに「本気で映画撮りたいので場所貸していただけませんか」とお願いしたり、神奈川の老人ホームまで行ってロケ地にさせていただいたり、出演者として若手の俳優さんと面談したりと、全力で一本映画を作り上げてMacで編集したときに、愕然としちゃったんですよ。自分が想像したものとまったく違うものができてしまって。

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―自分の中では、もっといい作品だったはずなのに、と。

OooDa その瞬間、また逃げたくなっちゃいまして、映画できたら配るんで! と言っていた皆さんや、映画制作仲間もぶっちぎっちゃったんですよ。挫折感からもう何もかもいいやと、連絡をまた全部断っちゃったんですね。そこからは貧乏生活に突入していきました。

その後、当時僕が住んでいた神奈川のアパートに僕よりふたつくらい下の子が、引っ越してきました。めちゃめちゃオタクな人で、とても息が合ったんですよね。その子が当時、『ペーパーマン』というパソコンのFPSをやっていたんです。

※『ペーパーマン』:2009年にサービスインした、オンラインFPS対戦ゲーム。登場キャラクターがみんな紙製で、横から見ると線になるという独創的なタイトルだった。見た目のファンシーさとは裏腹に当たり判定が厳しく、硬派なゲームバランスとなっていた。2016年までの、7年間運営。

――懐かしい! そういえばゲーセンでは『ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド』もやっていたというお話でしたね。

OooDa そうですね、銃を撃つゲームとかも好きなところがありましたし、ノートパソコンで無料で対戦できると聞いて、何それ!? と驚かされたんです。そもそも、ノートパソコンでもゲームができるということを始めて知ったんですよ。

――当時のノートパソコンのスペックは、相当低かったですからね。

OooDa それで富士通の、Windows Vistaが入ったでっかいマシンで『ペーパーマン』を始めまして。そこからは引きこもって、ずっと『ペーパーマン』をやっていました。

――ここでやっと、オンライン対戦ゲームと出会ったわけですね。

OooDa クランに入ってSkypeというものを教えてもらって、初めましてと通話に初参加したときには、楽しそうなみんなの会話を聞いて「あ、これどこかの部屋でみんなで集まって、ワイワイ楽しくやってるんだな」と、勝手に疎外感を抱いたりしていました。

ただ、よくよく聞いてみると、みんな地方にいて通話でつながっているんだよということで、みんなの個性を聞いていくと似たような境遇の人がいたり、イケイケヤンキーみたいな人がいたりと、「いろんな人がいるんだなぁ、オンラインゲームって面白いなぁ」と思ったのが、いまの自分のスタートだったと思います。

――そこからはずっと、オンラインゲームを?

OooDa 完全にオンラインゲーム漬けでしたね。そこで知り合った人から『Counter-Strike』というFPSがあると教えてもらいまして。当時『Counter-Strike』のプレイヤーの皆さんは、無料FPSにいろいろ手を出していたんです。ニコニコ動画に、ほかタイトルの動画をアップしたりもしていました。

動画のコメントでは、「『Counter-Strike』勢が一番強ぇ!」、「『Counter-Strike』やってた奴はFPSがうまい!」といったものが多く見られましたね。そんな中で、『Counter-Strike Online』がサービス開始になるという話になりまして、「それじゃあ乗り込もうぜ!」と仲のいいメンバーと始めました。

――それもまた、新たなスタートになったと。

OooDa 『Age of Empiers』もやっていたんですが、『カウンターストライクオンライン』と出会ったのが一番のスタートラインになったと思います。クランに入って、より一層濃いFPSゲーマーになりまして、毎日何時間か分からないくらいずっとプレイしていました。それも働かず(笑)。

親にも怒られつつお金を借りたりしていまして、ちゃんと働くようになったいま、ゆっくりと返済できているところですね。

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実況を始めたきっかけは? じつは今日まですべて我流だった

――そこからは多くの人が知っている、OooDaさんのゲーマーとしての軌跡に入るわけですね。

OooDa 『カウンターストライクオンライン』で2011年くらいに、初の大きな大会があったんですよ。それが終わったあと、梅崎さん(※)が「プロとして活動していけるチームを作りたい」と、DetonatioNを立ち上げたと聞きました。そこに入ってくれないかとお声がけいただきまして、とくに深く考えずに入ったんです。

※梅崎氏はプロeスポーツチームDetonatioN Gaming CEO 株式会社Sun-Gence代表取締役。

――そこから『カウンターストライクオンライン』で、DetonatioNの選手として活動を開始したと。

OooDa 選手というより、サブメンバー兼コーチといった立ち位置でしたね。2012年の当時はすでに実況を始めていましたので、実況者も兼ねていました。メンバーでありながらコーチで、レギュラーメンバーが出られないときの代役といった役割でしたね。あとはスポンサー集めに、梅崎さんと一緒に駆け回ったりもしていました。

その後は『リーグ・オブ・レジェンド』に“DetonatioN FocusMe”というプロゲーマーチームを投入したり、『World of Tanks』などにも着手していきましたね。その『World of Tanks』部門のリーダーが、のちに“Rascal Jester”チームを作る大川さんでした。

さらに当時はeyesさんも在籍していて、『リーグ・オブ・レジェンド』の動画をニコニコにアップし続けるストリーマー的な存在でしたね。まだLJL(League of Legends Japan League)がなかった時代ですし。

※eyes氏はLJL発足時から実況を務め、専業キャスターとして『リーグ・オブ・レジェンド』の日本公式試合で欠かせない存在となっていった。

OooDa そのころから、僕自身はイベント運営会社の株式会社 成(なり)さんから、タレント兼イベンターとして就職しないかと誘われてそれを受けまして、それをDetonatioNには事後報告したんですが、梅崎さんからは「え、マジで!?」と。

――そりゃ当然ですよ!(笑)

OooDa そこからふわーっとDetonatioNは抜けることになるわけですけど、決して喧嘩別れとかそういう感じじゃなかったですね。元々、僕は応援団的な立ち位置で、ボイスチャットが暗いときに行って「元気出せよ!」って言いに行くような自由なお兄さんでしたから。

――成についてはあまりお話を聞く機会がないんですけど、当時はどんな感じだったんですか?

OooDa 当時はFPS、特に『サドンアタック』のイベント運営が多かったですね。『AVA』の走り出しのころにもイベントをやっていましたけど、ネクソンさんタイトルのイベント運営が多かったと思います。

――当時は成に、先輩としてyukishiroさんも在籍されていましたね。

※yukishiro:『クロスファイア』などのさまざまなFPSタイトルで活動していた元プロゲーマーにして、現在はゲーム大会のMCやキャスターを務める。東京アニメ・声優専門学校のeSportsイベント講師など、幅広い活動歴を持つ。

OooDa いましたね! 当時まだ『サドンアタック』をやっていたと思いますから、2014年くらいですね。2007年から2014年まで『WarRock』の実況者として走り続けたyukishiroさんが、そのあと成からスクウェア・エニックスさんに転職することになりまして。僕はそのあと、『サドンアタック』では2015年から、僕が実況を引き継ぐことになりました。

――気付いたら、『サドンアタック』といえばOooDaさんの実況になっていましたよね。2014年から2015年のあたりは、本当に業界が混沌としていた時期でした。

OooDa 成も当時は、定例のイベントをやるというよりは、隠れてというわけではないですけど散発的にイベントを運営していた感じでしたね。

――あとは『オンプレ』という配信番組をやってましたよね。

OooDa よくご存じで(笑)。いまでは各媒体で当然のようにesports系バラエティー番組をやっていますが、「OnPlayerSTREAM」というバラエティー番組をやってたんですよ。成はすべてが早すぎまして、ゲームイベントだと「C4LAN」が最近は有名ですが、成の長縄社長が2007年くらいに「BIGLAN」というイベントを開催して、みんなでパソコンを持ち込んでひたすらゲームしたり、じゃんけん大会したり、改造したマイパソコンを自慢し合ったりしてたんですよね。

――日本における商業イベントとしてのLANパーティーの走りですね。

OooDa 「OnPlayerSTREAM」も2013年くらいに、隔週水曜日に会議室でバラエティー番組としてやっていたんです。まだ動画は残っていまして、この前観たら『AVA』の回で、『AVA』運営の井上さんとストリーマーのSHAKAさん、DeToNatorの江尻さんなど有名な人ばかりが出ていて、『AVA』を知ってもらおうと言いつつ罰ゲーム用意したり、江尻さんの昔の免許証が出てきたり。

いやー、ひどい番組でしたね(笑)。最終回とか、うちの社長が金色の全身タイツ着て出てましたから。

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▲今もニコニコ動画のチャンネルで視聴可能な、『OnPlayerSTREAM』。今観直してみると先進的というか、たしかに「時代に早すぎた」感がある。むしろいま復活したら、相当食いつきがいいのでは……?

――ものすごく自由にやってたんですね。

OooDa この番組も、会社としてFPSやオンラインゲームに知見があるというアピールも兼ねて、3、4年前までずっと続けていたんですよね。当時はTwitterもそれほど流行ってなくて、esportsという言葉どころか、ストリーマーという存在もほとんど確立していませんでした。ニコニコ動画が強くて、配信者といえば「ニコ生主」という時代でしたね。

――こうして振り返ってみると成さんでの活動も含めて、OooDaさんはいまのゲーム大会や配信の下地が作られた、2010年くらいまで活動していた感があります。

OooDa 実況をやり始めたのはもっと前なんですけどね。最初は『Counter-Strike Online』に行くまえに、『Counter-Strike』でもっと強くなりたいと『Counter-Strike 1.6』を始めまして。

※『Counter-Strike 1.6』:『Counter-Strike』の最終バージョンであり、『Counter-Strike: Global Offensive』の前身的作品。オンラインゲームの中でも世界トップクラスのユーザー数を誇る人気作品であり、FPSではもっとも歴代プレイヤー総数が多い作品と言われている。

OooDa まずは『Counter-Strike 1.6』で活動するようになって有名なクランにも入ったんですけど、どうも求めているものが違うような気がしまして。そのうちコミュニティーの大会が開かれることになったんですけど、そこに協力したいと思ってクランを抜けて、ボランティアスタッフとして入りたいと申し出たんです。

そこではまだ配信というものをやっていなかったので、「君なんかトークうまいからしゃべってみてよ」と頼まれて、軽い気持ちで「じゃあやってみますー」と引き受けたんです。

――またふわっと始まったわけですか。

OooDa まだTwitchやYouTube Liveもなかった時代なので、配信はUstreamで行いました。解説に有名なプレイヤーを誰かしら呼んで、関西弁で好き勝手に掛け合いしつつ。当時からコミュニティ大会を追いかけてくださっていた人といえば、Negitaku.orgのYossyさんですね。記事とかまだ残っていますが、嬉しかったですね~。「実況はOooDaさん」とか「こんな印象でした」、「これからも頑張ってほしいです」といった文章が、いまも記憶に残っています。

――そこからはもう、ゲーム大会でずっとしゃべってるお兄さんといった印象ですね。

OooDa 『1.6』は当時もう終わりかけのゲームだったんですけど、その大会が盛り上がったおかげで参加チームや視聴者もどんどん増えて、今はゲームオンで『AVA』公認アドバイザーになっているKeNNyさんなどのプレイヤーたちも盛り上げてくれまして。当時、アクティブ視聴者が1000人を超えていました。

――あのころにUstreamでアクティブ1000人って、相当すごいです。

OooDa コミュニティー大会でそれだけ行ったというのが、本当にすごいことだったと思いますね。それを観ていた成さんが、今度ネクソンさんが運営する『Counter-Strike Online』で“CSOJC 2011”の福岡予選大会があるから、「実況してみない?」と誘われたのが、成さんから受けた実況の初仕事になりました。

――そのあと実況も続けつつ、DetonatioNに入りつつ、いろいろあったわけですね。

OooDa そうですね、そこで最終的には、最初にお声がけをいただいた成さんに就職することになりました。

――となると、当初は仕事としてゲームキャスターをやっていこうと思っていたわけではないのでしょうか?

OooDa 初めは仕事として、これで食べていこうとは考えてなかったですね。むしろ何も考えず、「ゲームを知ってほしい! 『Counter-Strike』を盛り上げたい!」という想いだけで、実況をしていました。

――小中学校時代の、友達といっしょにゲームをやるのが好き、というところからすべて繋がっているようにも見えます。

OooDa たしかに、コミュニティーの存在なども似ているかもですね。みんなでわいわい楽しくやっていたら、いつの間にかゲームキャスターになっていたような。毎週土日にそこで拘束されていたので、配信・実況者中毒みたいなのにもかかってましたけど。

仕事になっても、意識が切り替わることはあまりなかったですね。「俺できるかな?」という不安もなく、コミュニティーでしゃべっていたままの自分がその仕事の席にもいた、といった感じでした。

――そのまま、楽しく実況できたと。

OooDa あと、ドヤ顔していました。『Counter-Strike Online』も当然遊んでいましたので、メンバーやコミュニティーで「今度オレ、公式の実況するから」って。すごいだろ俺感を出していました(笑)。

頑張ってきて、その結果公式に呼ばれたということを自慢したくてしたくてたまらなかったですね。コミュニティーの皆さんも「おめでとう!」と祝福してくれて、嬉しい限りでした。

――そしてそのあと、成に就職されるわけですが、成ですとあくまで、スタッフの一員ですよね。仕事と実況の両方をこなすとなると、大変だったこともあったのでは?

OooDa 就職当初は、そんなでもなかったんですよね。実況のお仕事は当初は月に1回もあったかどうかというくらいで、2015年あたりから月イチくらいでお仕事をもらえるようになりました。それまではデスクワークとか、イベント回しの方のお仕事の方も、重荷ではなかったですね。

SACTL 2014
『サドンアタック』公式全国大会“SACTL 2014”。中央のパーカーがOooDa氏。

 

2015年5月5日SAJCL 2015 1st Stage
『サドンアタック』公式全国大会‟SAJCL 2015 1st Stage”。左がOooda氏

 

――しかし、実況の仕事が増えてくると……。

OooDa そうですね、esportsブーム到来とともにキャスターとしてのお仕事も増えてきて、2年前くらいが一番きつかったですね。実況の仕事をたくさんいただけるんですけど、イベントの仕事もしないといけない。自分でイベントの企画をして、クライアントに連絡して打ち合わせて、キャスティング、台本、マニュアルまで全部作って、いざ実況は自分、とかいうことも増えましたし。照明やBGMのタイミング違うじゃないか! とか、いろいろ考えつつ実況していました。

――実況含めて、ゲームイベントの何でも屋さんだったわけですね。

OooDa いまはそこの時期も抜けて、あとから入ってきた子たちにイベントを任せられるようになったんです。2年前くらいからクライアントさんと密に行って、当日別の実況の現場があるからそのイベントには出られません、という事態が増えてきました。さすがにそれはよくないと思うようになりまして。

ですので現在は、最初に「面白そうですね、ぜひやりましょうよ!」と打ち合わせに行ってからは、後輩に担当へとついてもらう、というおじさんになりつつあります。ちょっとだけ偉くなりました(笑)。

ただ、こうしてゲームキャスターを本業として据えられるようになってきたのも最近ですので、今後は本業として注力すべく、勉強とかできる時間が取れればと思っています。

――するといままでは、勉強を一切せずに我流だったのですか?

OooDa 休みもほぼないですし、ゲームをやる時間も必要でしたからね。唯一、成から実況のお仕事を振ってもらい始めたころに、PCショップのカスタマーサービス窓口で、トークの修行も兼ねて働いたくらいですかね。抑揚の付け方とか、このお客さんにはこう接する、みたいな部分を学びました。

――そうはまったく見えなかったです……。では、自分が理想のキャスターになるべく、学んでみたい要素は?

OooDa 一番はもう、滑舌ですね。「さしすせそ」がすごく弱くて。今はなんとか、うまく隠しています。

――そこはプロでもきついと言いますしね。そんな感じもまったくしなかったので、意外です。

OooDa あとは噛むことも多いでしょうし、基礎から学びたいですね。アナウンス学校とか、行った方がいいんでしょうね。一度体験入学に行ったときには、“外郎売(ういろううり)”をひたすら読めって言われて、家でも読むといいよと。いや、分かるけどなんか自分の中では違うなーと当時は思いましたが、今思えば重要なことですね。

※外郎売:「拙者親方と申すは、お立ち会いの中に御存知のお方も御座りましょうが」と始まる、歌舞伎十八番『外郎売』の中での8分近くに及ぶ長いセリフのことを指す。滑舌を良くするための練習台として、長らく舞台役者や声優の間での教本となっている。

ただ、教えてもらうなら個人面談で受けたいですね。体験入学のときは教室で他の皆さんと受けていたんですが、聞きたいことも聞けず、皆さんのペースに合わせていましたから。

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※後編はこちら→https://appvs.famitsu.com/20190102_17686/

ライター:カイゼルちくわ 編集:工藤エイム、ミス・ユースケ

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